なかほら牧場とは
まず簡単に、私が2年間働いた「なかほら牧場」について説明させてください。
「なかほら牧場」は、岩手県岩泉町の山奥にある、山地酪農を実践する牧場です。
牧場長である中洞正が、約35年前に家族だけで開設し、現在はさまざまな夢を持つ20人前後のスタッフを抱えて、200頭近い牛たちと暮らしています。
「山地酪農」は、山の中で24時間365日放牧するという飼い方です。
普通のことに思われるかもしれませんが、酪農に限らず、日本の家畜のほとんどは狭い建物の中で一生を過ごし、自由な行動が制限されています。
これは酪農家さんたちが悪いわけではなく、乳量を上げるために戦後の政策によってこうした飼い方をを余儀なくされたからでした。むしろ、酪農家さんたちも、止まらない歯車の一部となって働き続けなければならず大変な思いをされています。現代の日本の酪農は、人も牛も誰も幸せになれないかたちになってしまっているのです。
なかほら牧場は、こういった従来の酪農を否定し、牛も人も幸せになれるというかたちを目指して始まりました。(アニマルウェルフェアの考え方)
感受性を持つ生き物としての家畜に心を寄り添わせ、誕生から死を迎えるまでの間、ストレスをできる限り少なく、行動要求が満たされた、健康的な生活ができる飼育方法をめざす畜産のあり方。いずれ人間に消費される家畜であっても、幸せに生きる権利があるという考えをもとに以下の「5つの自由」が定められた。
- 空腹と渇きからの自由
- 不快からの自由
- 痛みや傷、病気からの自由
- 正常な行動を発現する自由
- 恐怖や苦悩からの自由
参考:(一社)アニマルウェルフェア畜産協会HP
なかほら牧場では、
放牧で行動を制限しないだけでなく、繁殖も『自然交配・自然分娩・母乳哺育(生後2ヵ月程度)』。
牛が野シバを食べることで山も元気になり、
牛まかせだから人も”楽”農ができる。
晴れの日も雨の日も、牛がいる
たくさんの動物がほぼ自然の中で放されている光景は、日本ではなかなか見られないものです。
牛には十人十色の個性があって、だからこそ多様な関係性も生まれます。毎日がドラマの連続なので、言葉にしたらキリがないですが、その中からほんの一部を紹介させてください。
ありふれたネグレクト
草地に向かう斜面を、鈴をつけた仔牛たちが駆け上がっていきます。
同時期に生まれた仔牛たちは、いつも一緒に行動していて、お母さん牛の心配をよそに自分たちだけで遊びにいきます。
そんな子供たちにあたふたするお母さんもいますが、あまり気にしていない、むしろ子供の存在を忘れて草を食べに行ってしまうお母さんもいます。
人間界ではネグレクト(育児放棄)が問題になりますが、牛の世界では珍しいことではありません。誰かがほったらかしにされていたら、どこからともなく別の親牛が現れて勝手に乳を飲ませていたりすることもあるんです。
(なかほら牧場ではそういう親牛のことを乳母と勝手に呼んでいました。)
子育て方法も牛それぞれ。
放棄したっていいのだから、本当になんでもありです。
子供の行動をずっと心配そうに見ている親もいれば、放任主義の親もいる。生後間もない仔牛に険しい山道を歩かせるスパルタお母さんもいれば、ちょっと目を離している隙に他のお母さん牛に子供をとられてしょんぼりしている新米ママもいます。
仔牛も好きなように行動していますし、自分たちだけで仲良くしているうちに勝手に成長していたりもします。
人間だって牛と同じように群れて暮らす生き物なのだから、全く同じとはいかなくても、もう少し気楽に子育てをしていいのかもしれません。少なくとも、お母さんに負担が集中するようなのは違うよなあと、彼女たちを眺めているとより強く思います。
元気ならそれがいちばんだよね!!!!!すくすく育てよ〜〜〜〜
興味がいっぱい
牛たちの性格は本当にさまざまで、とにかくぼーっとしている子もいれば、好奇心旺盛で色んなところに冒険に行ったり、他の動物に積極的に関わりにいく子もいます。
上の写真は、牧場で飼っている犬猫たちに興味津々の牛たちです。追い返されている子もいますが(笑)
牛舎の中で過ごす牛たちでは絶対に見ることができない光景。
私は、彼らの興味が広がっている瞬間を見るのがたまらなく好きです。未知なるものに対して脳をフル回転させているんだろうなあと思うとずっとその様子を見ていたくなります。
圧倒的おバカNo. 1 アリアナ
群れの中には、先導牛といって、良い草地まで他の牛を連れて行ってくれるような賢い牛もいますが、反対にとーーってもおバカな牛もいます。
下の写真はアリアナという、私が考えるなかほら牧場のNo. 1おバカキャラです。
なかほら牧場では、搾乳時、先に搾る牛(仮にAグループとします)と後から搾る牛(Bグループ)に分けるのですが、その時にたいていの子は自分がどちらに振り分けられるかを数日もすれば覚えます。時々、ズルをして違う場所に居座っている子もいますが、それはわかっているからこそできることです。
アリアナはそれをいつまでたっても覚えません。(笑)
次から次に牛が牛舎付近に到着するので、待機場所は常にごちゃごちゃしているのですが、「ここにいてね」というこちらの意向が全く伝わっておらず、いつも舌をベロベロさせながらAとBの間をウロウロしています。
仕事をする上ではとても邪魔なんですが、ベロベロしながらウロウロしているアリアナがあまりにもアホっぽくて、見ていると怒る気も失せてきます。(笑)
“バカな子ほどかわいい”というのは本当みたいです。
王座を降りた最強ばあちゃん、モス
最後にモスという牛の話をしたいと思います。たしか、そろそろ14歳になるおばあちゃん牛です。
(ちなみにモスの子供の名前はバーガーですw)
私が大学生で初めて牧場に研修に来た5年前は、モスの権力はおそらく最高潮でした。
そう。あまり知られていないと思うんですが、牛は群れを成す動物なので、はっきりと序列があります。
餌を食べるのも強い牛から。搾乳も、強い牛が先頭に立って順番を待ちます。
体格や年齢、性格、親の序列(親が強いと子も強くなることが多いです)などから、その牛の強さが決まります。
モスは、黒い身体に、特徴的なカーブの角、魚のような真っ黒ギョロ目で、放牧牛らしい貫禄を持つ牛です。
今は身体もすっかり衰え、脚を引きずりながらゆっくり最後尾を歩くモスばあちゃんですが、それでも元気がある日は山のてっぺんまで登って草を食みます。
自分の足が遅いこともよくわかっていて、牛追いのときは他の牛がしょっちゅう休憩を挟みながら歩くのに対し、まっすぐ前を向いてちょっとずつでも歩き続けます。童話「うさぎとカメ」を思い起こさせるような健気さで、ただのヨボヨボおばあちゃんにはならないのがモスのいいところです。
彼女を見ていると、牛にも素敵な歳の取り方ってあるんだなあと思わされました。
ちなみに、権力が落ちてきた牛は気が弱くなったり他の牛からいじめられることもありますが、モスの周りには無敵のATフィールドでも張られているのか、謎の余裕で山を闊歩しています。(笑)
モスばあちゃん強し!!!!!!これからも頑張って!!!!!
大きな生き物だって、小さな生命だということ
空っぽの眼球とあっけない死
生き物と接する仕事で、どうしても避けられないのが、その死です。
アニマルウェルフェアに取り組み、牛たちのしあわせを考えるこの牧場にも、死は必ず訪れます。
急な地形を無理して歩いたことで脚を痛めたり、寝転んだら立てなくなってひっくり返ってしまったり、、、
人間ではほとんどありえないような理由で、牛はあっけなく死にます。
あんなに大きな生き物なのに、その灯火は、小さな生き物と同じように一息で消えるんです。
昨日まで元気で、他の牛に喧嘩をふっかけていたような子が、転倒によって立てなくなって、一日、二日、三日….とだんだん衰弱していく。少しずつ絶望を知っていく瞳には、世の中の不条理が詰まっているようでした。
なかほら牧場は放牧していますから、朝と夕の搾乳の間に牛が怪我をして急速に弱ったりすると、助けることができません。
そういうケースは、発見と同時に死亡が確認されます。
朝の牛追いに行って、カラスが集まっている場所があるから嫌な予感がして近づくと、目玉をくり抜かれ、陰部を突かれ、穴という穴から血が出ている牛を見つけることが、何度もありました。
くり抜かれて、眼球のかたちがはっきりとわかるようになった頭部は、もう「これ」が「生き物」ではないことを真っ直ぐに伝えてきます。
「死」とはあっけなく、悲しく、悔しいものです。
昨日までその瞳にうつっていた”楽しい”、”嬉しい”、”嫌だ”、”こわい”、”なんで?”…そういった色とりどりの鮮やかな感情を「死」は空っぽにするものなんだとここに来て知りました。
どんな「死」をあげられるか
野生動物は死んだら当たり前に自然に還る、つまりは他の動物に喰われたりすることが普通です。
文化的な生活を送る現代人からしたら、残酷に見えるかもしれないことも、自然界では当たり前でしょう。
けれども、牧場にいる牛は人の手で世話をしています。
どんなに自然に近いかたちで飼っているとはいえ、世話をしているのなら、その死にも人間が手をかけるからこその尊厳を持たせてあげられないのかとよく考えていました。
治療するにはお金がかかる、
寝返りをとらせるだけでも大型機械が要る、
じゃあ殺すのか、
でも生かすのだって幸せとは限らない、
そもそも牛が幸せかなんて人間の自己満足でしかない、
答えが一つの問いではないからこそ、毎回悩んで、毎回…….
「死」と向き合うたびに、こんなつらい思いはしたくないと思います。でも、知りたくなかったと思ったことはありません。
この気持ちを噛み締めて今を生きたいです。
毎回ちゃんと痛みを感じる人間でありたいです。
そしてその痛みは私だけのものだから、きれいなものではないけどずっと持っているつもりです。
プリンを作る日々
なかほら牧場に就職してからの約2年間。
牛のお世話もしていましたが、実は、全体の3分の2ほどの時間を、私はプリン製造に費やしていました。
(なかほら牧場は6次産業化をしていて、製造も自分たちで行っています。)
小さい頃から動物が好きで自然の中で働こうと思っていた私が、社会に出て初めて取り組んだ仕事が、まさかのプリン作り!プリン班に配属されたことに不満はありませんでしたが、予想外すぎて、人生とは面白いなあとよく思っていました。(笑)
5万個以上の卵を割った
調理を仕事にするなんて想像もしていなかった私でしたが、仕事が始まると毎週とんでもない数のプリンを手作りすることになりました。
通常週は3日間で1000個弱。テレビ番組や雑誌に取り上げられた時は2日間で2000個作りました。
友人などに仕事内容を説明すると、どのくらい機械に頼らず人の手で作っているのかをあまり理解されないのですが、本当に最初から最後まで手作りしています。(笑)
卵を手で割って、ボウルをベラで混ぜて、瓶に流し込み、一つ一つ賞味シールを貼って、作っているんです。なかほら牧場のプリンは1個450円とかなり高いのですが、妥当だと胸を張って言えます!
2年間で割った卵の数は、少なく見積もっても5万個以上。ちょっと気持ち悪いくらいの数ですよね。(笑)
一つのことをスムーズにできるようになるまで、人よりだいぶ時間がかかる私ですが、繁忙期は本当に極限まで追い込まれたので、知らぬ間に限界突破していきました。
受け取ったバトンを落とさない
プリンを作る上で意識していたのは、最高級のものを最高級のままお客さんにお届けすること。
私はパティシエでもないし、レシピを考案した訳でもない。入社したらたまたまプリン製造に配属されただけの人間でした。
特別なことはできないけれど、せっかくおいしい草を食べた、個性のある牛たちのミルクを使わせてもらっているのだから、受け取ったバトンを落とさずに食べてくれる人に届けることが私の役割です。
それができてこそ、日本の酪農の現状や動物たちとの関わりについて興味を持ってくれる人が現れてくれるのだと思います。
実際に私の作ったプリンを食べた方が何かを感じてくれるのかわかりませんが、私がそういう意識で作っていたことは、この記事によって多少昇華させられたらなと思います。
命と食は繋がっているんです。
考え続けた作業時間
「考える」ができる場所って限られています。
少なくとも、忙しくて日々の仕事をこなすだけで精一杯になってしまうような環境では、自分を深く見つめることはできないと私は思っています。
プリン製造は確かに大変でしたが、単調な作業も多く、頭の中で色んな考えをめぐらせる時間はたくさんありました。
自分はどう感じるのか
何に心を動かされるのか
どうやって生きていきたいのか
どうやって死んでいきたいのか
人にどう思われたいのか
どんな自分なら好きになれるのか
何を幸せと感じるのか
何を不幸と感じるのか
コンビニに行くのも車で30分以上かかる山奥で、世間と隔絶されて、でもそういう「足りない」状況だからこそ「足りる」を渇望しました。
結果的に私はなかほら牧場を辞め、酪農とは違う道に進むけれど、ここで過ごした2年間がなければ選び取れなかった道です。
あの時間は無駄じゃなかったし、20代の折り返し地点で、自分を深く見つめ直す時間を設けることができた私は恵まれていたと思います。
最高の贅沢をさせてもらえたことに感謝
いい経験は、いい環境から生まれます。
大学2年生で、初めてこの牧場に来たときの感動を今でも忘れません。
こんな環境で学べたのは、やはり他でもない牧場長の中洞さんのおかげです。
(ちなみに辞めるときに初めて聞かされましたが、私の採用は中洞さんの一言で決まったらしいです。)
ここに就職したからこそ変わろうと思えたことがたくさんあるし、何より、大自然の中で生き物と関わるという最高の贅沢を味わえたのは本当に幸せでした。
次の職場は、念願だった馬の牧場です。
生き物と関わることがやめられない私は、また、生と死と向き合うことになります。
わかりやすい結果に残るものではないけれど、この2年間に体験したことがたしかに自分の中に積み重なっているように、これからの日々も、そうやって目には見えない積み重ねを大事にしていきたいです。
2年を過ごすうちに当たり前になっていたけれど、他所では絶対に体験できないような奇跡みたいな日々。
本当にありがとうございました。
最後に、この記事をここまで読んでくれた方へ。
なかほら牧場の牛乳は、穀類や乾草ではなく、野シバと呼ばれる青草を食べた牛から搾られるみずみずしいものです。牛乳が苦手な人にも美味しいと言ってもらえる、間違いなく日本最高級の牛乳の一つなので、機会があれば飲んでみてください。